今週のメッセージ

マルコ 4:1~20       2017、6、11                『御言葉を聞く』

教会は何処よりも、人間関係を大切にする所だと思っています。

イエス様を仰ぎ、信仰の友との関係を作り上げて行くなら、人生が豊かになり、周りの人も幸せになるのです。

その一つが、今日の「A会」だと思います。

どうか皆さん、こぞってご出席ください。

さてイエスは、12節で『彼等は見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして立ち帰って赦される事がない』と言いました。

物事を正しく理解するには、心の在り方が大切だと言うのです。

こういう話しがあります。

音楽家と金貸しが一緒に歩いていました。

「おやっ、こおろぎが鳴いている。美しい音色だな」と音楽家が立ち止まって言いました。

「えっ。僕には聞こえない」と、金貸しが答えました。

しばらく行って、金貸しが言いました。

「君か僕が、お金を落とした。チャリンとお金の音がしたよ」。

ところが音楽家は、「何も聞こえない」と言った、という話です。

このように同じものを見、同じ音を聞いても、心の在り方によって理解が違います。

この時イエスは、種蒔きの例え話をされました。

でも、聞いている人の心が、何処に向いているかで、理解出来たり、出来なかったりするのです。

ですからイエスは先ず、「良く聞きなさい」と注意され、終りにも再び、「聞く耳のある者は聞きなさい」と、言いました。

弟子たちには、例え話の意味が分からなかったのです。

けれどもイエスの説き明かしを受けて、悟りました。

それ以後、この例え話は彼等の心に、深く刻まれました。

畑や農夫の種蒔きを見る度に、この例え話を思い出したでありましょう。

ところで話されたガリラヤ湖の周辺はゆるい丘で、畑が続いています。

その畑で、種蒔きをしている農夫がいたのでしょう。

するとこれは、小麦や大麦の種蒔きです。

でも日本の種蒔きとは、だいぶ違います。

農夫は腰に、種の入った袋をつけて、そこから手で一掴みして、サッ-と撒くのです。

それで「蒔いている間に、種が道端に落ちたり、石地に落ちたりする」のです。

それから種には、不思議な力があります。

種は、砂粒ほどで、小さいのです。

けれども、やがて成長し、豊かな実りになります。

イエスは言いました。「種とは、神の言葉を意味している」と。

神の言葉も、人の心に蒔かれた時は、初めは小さいのです。

でも、生命力がありますから、やがて豊かな実りとなるのです。

私たちの心にも、神の言葉が蒔かれています。

今は未だ、小さな種であるかも知れません。

あるいは、成長途上の茎や葉であるかも知れません。

けれども必ず、豊かな実のりになるのです。

それでは第一の、畑の横の道端に落ちた種に、目を向けましょう。

鳥が来て食べてしまいました。

後で、イエスがこう説明しています。

「道端のものとは、こういう人たちである。

御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て奪い去る」と。

実際、色々な道があります。

土の道もあれば、コンクリートやアスファルトで舗装された道もあります。

その道を、人や車が行き来して、通り過ぎて行きます。

そのように、通り過ぎるだけの人生があるのです。

毎日が、寝て、食べて、仕事をして、遊んで、忙しく人生を終えます。

しかし忙しいだけの人生は、毎日を慌ただしく過ごすだけではないでしょうか。

それだけでは残念ながら、人生を生きてはいないのです。

なぜなら人には、命の根源である、神の言葉が与えられているからです。

もしも、御言葉が蒔かれているのに、育たない人生なら、何と虚しいでしょう。

神の言葉を、自分のものとするために、立ち止まる必要があるのです。

そのために、週の初めの日曜日、教会があります。

もしもそれを、「勿体ない」と考えるなら、その人は忙しいだけの人生で、終わるでしょう。

ある人が言いました。

「日曜の礼拝に出席しないで、忙しい、忙しいと、歩き回っている人の足音は、墓場への虚しい足音である」と。

イエスは言います。

「道端に蒔かれた種は、鳥が来て食べてしまうように、サタン、悪魔が来て、御言葉を奪い取ってしまう」と。

悪魔は、蒔かれた神の言葉が、根付かないよう、妨害し、取り去ろうとします。

ですから忙しい生活の人は、考えましょう。

人生は神から与えられたのであり、御言葉のある生活を、大切にしようと。

第二の土地は、石だらけで土の少ない所でした。

土はありますが、土の下は石だらけです。

種は、すぐに芽を出して茎や葉を出します。

でも根が浅いので、日が昇ると乾燥して、枯れてしまいます。

これは神の言葉を聞くと、喜んで直ぐに受け入れる人です。

でも、問題や苦しい事が起こると、御言葉を捨ててしまう人がいるのです。

信仰を喜ぶのは、大切です。

でも、間違った喜びがあると、イエスは言うのです。

という事は、信仰の喜びには、二種類ある、という事でしょう。

一つは自分を喜ばせるだけの、自分中心の喜びです。

ある人たちは、「イエス様を信じて、健康が与えられた、仕事が上手くいった。

幸福になった」と喜んでいます。

でも、上手く行かなくなると、どうなるでしょう。

信仰を平気で捨てる人がいるのです。

それに対して、もう一つの喜びがあります。

それは、神に喜んでいただく信仰の喜びです。

「これは、神のための苦しみだ」と受け止めて、困難に耐え、悲しみに耐えて行く人がいるのです。

「神が喜んで下さるから、自分も喜ぶ」という信仰です。

これが聖書の本当の信仰です。

使徒パウロがそうでした。

彼はキリストのために、牢獄に入れられていました。

人間的に見たら、これ程悲しく、不幸な状況はありません。

けれども心から喜んでいます。

そして他の信仰者にも、「この私が喜んでいるのだから、あなたがたも今いる所で、喜べる筈だと言い、喜びなさい」と言っているのです。

それは神のために働き、苦難を背負う喜びです。

真実の愛とは、そういうものではないでしょうか?

愛する者のために苦しむ事、それが大きな喜びになるのです。

私たちのために、命を投げ出して、死んで下さったキリストのために苦しむ事。

これほど大きな喜び、生きがいはありません。

どうか少しでも、キリストに喜んで貰えるような、歩みをしようではありませんか!

御言葉が蒔かれた第三の土地、それは茨の中です。

イバラはトゲのある雑草で、非常に繁殖が早いのです。

そのような土地には、麦のような作物は育ちません。

同様に、御言葉が蒔かれても、ある所までは成長しますが、思い煩いや、色々な誘惑に負けてしまう人たちがいます。

私たちは現実の世界で、生きて行かねばなりません。

その為には、お金を稼ぎ、生活を立てる必要があります。

何が起こるか分からないので、心配です。

「病気になったら」とか、「家族に何かあったらどうしよう」と、思い煩います。

それで御言葉は脇へ置いて、まず仕事をする。

貯金をして、財産を作ろうとします。

そして何時の間にか、御言葉を忘れてしまうのです。

財産や健康がどうでも良いと、言うのではありません。

でも神は、それらが私たちに必要なのを、ご存知なのです。

ですから『まず神の国と神の義を求めなさない。

そうすればこれらのものは、全て添えて与えられる』と約束されるのです。

それなら優先すべきは、神の言葉でありましょう。

まず御言葉に心を向けて、大切にすべきです。

そうすれば他の事は、やがて解決するからです。

次に御言葉の種が落ちた所は、良い土地でした。

『良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、受け入れる人たちである。

ある者は30倍、ある者は60倍、ある者は100倍の実を結ぶ』と言われます。

それでは良い土地とはどういう人を言うのでしょう。

「心が純粋で、信仰を大切にする人」とか、「信仰のために全てを犠牲に出来る人」と考えるかも知れません。

もしもそうなら、どうでしょう。

私たちはどんなに努力しても良い土地にはなれないと思います。

そしてイエスの弟子たちも、自分の事に捕らわれ、誘惑や試練に負けているのですから、良い土地にはなれません。

ですから良い土地というのは、正しい人とか、罪や誘惑に負けない人と言うのではありません。

すべての人が、不完全な人間だからです。

私たちの心の中には、沢山の石や茨があります。

決して良い土地ではありません。

一生懸命、良い土地になろうとしても、途中で諦めざるを得ませんでした。

それなのに私たちは今、良い土地として変えられ、このように共に礼拝を守り、信仰生活を続けているのです。

これは自力で出来るものではありません。

キリストが、して下さったのではないでしょうか。

キリストが農夫として、私たちの心に種を蒔いて下さいました。

そして私たちの心の、石を取り除き、茨を抜き取って下さったのです。     でもそれは実際には、どのようにして、行われるのでしょう?

神はキリストを仲立ちとする、信仰の友との交わりを、その為に用意して下さいました。

イエスは言います。「信仰の友が二人、または三人集まるなら、その中に私がいる」と。

信仰の友との交わりが、お互いの御言葉を守り育て、豊かな実りをもたらすのです。

だからこそ今、このようにして礼拝を、捧げているのではないでしょうか。

やがて御言葉は、30,40,100 倍の実を結びます。

キリストの、この約束は確かです。

私たちは信仰の友との交わりによって、御言葉を育てて行きましょう。

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