今週のメッセージ

使徒言行録2 : 1 4 ~ 3 7          2018、5、20

『ペトロの説教』

今日は悲しい事と、嬉しい事の報告があります。

悲しい事とは、Aさんのお兄さんが、天に召された事です。

突然の訃報ですが、カトリック教会の信者でありますから、その魂は昨年天に召されたお母様と共に、イエス様の御腕に抱かれて、今は平安の中におられる事を信じております。

どうかAさんを神が守り、慰めと平安をお与えになりますよう祈ります。

嬉しい事とは、Bさんのお嬢さんが、紫綬褒章を与えられた事です。

毎日新聞には、こういう賛辞の言葉が出ていました。

「差し伸べた指の先に無限の宇宙を感じさせ、踏みしめた足の底に地球の核を思わせる—

現代ダンスの分野で世界的に活躍するCはそんな佇まいの舞踊家だ」と語られ、高校卒業前にローザンヌの国際バレエコンクールで受賞し、それから挑戦に挑戦して現代ダンスの第一人者になったのは、決っして自然の成り行きではない」との賛辞が語られていました。

私たちの仲間であるCさんが、芸術家として最高の栄誉を与えられた事を共に喜びたいと思います。

さて今日は子どもと大人のペンテコステの合同礼拝です。

人には必ず、誕生日があります。

人だけではありません。教会にも誕生日があります。

この教会は、1950年5月1日に本牧めぐみ伝道所が出来ていますから、68年前が誕生日と言えるでしょう。

特にアメリカからの宣教師ミス・バランタインや初代牧師のデマーグド宣教師、そしてノーデン宣教師たちが核になって、教会の基礎が出来ました。

そして私が、5代目の牧師で、皆さんが教会員ですから、一緒になって更に飛躍したいものです。

でも、もう一つの誕生日が教会にはあります。

今から1970年ほど前の5月のペンテコステの日です。

本日の聖書の箇所の記事がその事情を告げています。

120人の弟子たちが集まり、祈っていますと、聖霊が彼等にとどまり、イエス・キリストの御業について夫々が語り始めたのです。

それは外国から来た人たちにも分かる言葉でした。

神の救いを聞いた人々は、驚いて「連中は酒に酔っているのだ」と言ったのです。

それでペトロたちは立ち上がり、反論しました。

かつて主を裏切り、見捨てた臆病者たちが、大胆にキリストの救いを語り始めたのです。

神の命の息である聖霊を受けたからです。

子どもの皆さんは、寒くて手が冷たくてどうしようもない時、お母さんがハァーと息を吹きかけてくれた事がありますね。

嬉しくなって、元気になりますね。

聖霊とは、神の息です。人に喜びと力を与えてくれる神様の命の息が、この時弟子たちに天から注がれて、彼らは勇気が出てきたのです。

これは私たちも同じです。

私たちも悲しみや不安でいっぱいの時があり、座り込んでしまう時があります。

そのような時、神の霊を注がれると、勇気を与えられて、立ち上がれるのです。

さて、ペトロは『あの人たちは酒を飲んでいるのだ』と嘲る人々に言いました。

「今は朝の九時ですから、酒に酔っているのではありません。

これは旧約聖書の成就なのです。

預言者ヨエルは、「神は言われる。神の聖霊が下ると全ての人が預言する。

若者は幻を見、老人は夢を見る」と言っています。

その事がペンテコステのこの日に起こったのです」とペトロは語ったのです。

幻や夢は、はかない幻想のようですが、これは神が与えてくれる幻であり、夢でした。

神の息吹である聖霊が降るなら、人は生き生きとした幻や夢を語り出すのです。

皆さんには、夢がありますね。

夢や幻は、神様が人間にだけ与えられた、素晴らしい思いです。

犬や猿は、夢や幻を持たないでしょう。

動物は夢が無くても平気でやって行けます。

でも人は、夢や幻がないと、ただ生きているだけになってしまいます。

食べて、寝て、働いてそして死んで行くだけです。

ですから人は、夢や幻が無ければ生きていけません。

それでは、どういう幻や夢を皆さんは持っておられますか。

金持ちになる事ですか。人から褒められる人間になる事ですか。

好きな人と結婚する事ですか。 好きな事が出来るようになる事ですか。

それぞれに、心に抱く思い、夢があります。

どうかその夢を大事にして下さい。

でも最大の夢、幻があります。

神の命、力である聖霊を受けて抱く、夢であり幻です。

それは真実に神を愛し、人を愛する者になるという事ではないでしょうか。

この夢を持つなら、人はいつも若くなり、どんなに歳をとっても、元気になるのです。

私は大学時代の友人に久しぶりにあった時、こう言われました。

「増田は良いな。神様と人に仕えるのが仕事なのだから」と。

彼はクリスチャンではありませんが、牧師の私をそう評したのです。

確かに、考えてみると牧師は最高の仕事だと思います。

でも皆さん、牧師だけが良い事をしているのではありませんよ。

神を愛し、礼拝を守っている人ならば、同じです。

皆さんも素晴らしい人生を送っているのではないでしょうか。

さて人は、年を取るにつれて、体が衰え、自由が利かなくなります。

これは厳粛な事実です。

それでお年寄りは、「ああ、体が弱くなった。病気を抱えている」と嘆くのです。

けれども教会の人たちは違います。

どんなに年を取っても、体が弱くなっても、心は元気です。燃えています。

どうしてでしょう。

心の中の、夢や幻は消えない。燃えているからです。

Dさんが98歳。あと2年で100歳になるのを伺いました。

驚きました。そんなに歳を取っているとは思えませんでしたから。

Eさんも、気持ちがとてもお若い。

ご家族や教会の私たちの為に色々と尽くしておられます。

人間というのは不思議なもので、自分の幸せばかり考えている人は、歳を取り、老けやすいのです。

自分の健康とか、自分の生活や幸せばかり考えていると心が狭くなって、老けてしまうからです。

でも神様を愛し、人の為に少しでも役に立ちたいと祈り求めている人は、歳をとりません。病気になっても、心は燃えています。

私たちが生きている意味は、自分一人が幸せになるのではありません。

他の人たち、家族や友人、教会の人たちも幸せになるためなのです。

どうか皆さん、この教会には100歳過ぎても、青年のように気が若く、大きな夢に生かされている人が大勢いる。

教会に来ると、皆が元気になって、やる気が出てくる。

そんな生き生きとした教会を目指して行こうではありませんか。

夢と幻に生きる人間になる事が大切です。

神を愛し、人を愛する人間として、希望を持って生きる事が、私たちに委ねられているのです。

頭の中の知識で終わるのでなくて、実際に立ち上がり、神の為、人の為に立ち上がるのです。これが教会の誕生日に、起こったのです。

信じる者たちが心を合わせて祈るならば、神の聖霊が降ります。

私たちが聖書の言葉に心を傾け、心を合わせて祈る時に、聖霊が注がれ、神を愛し、人を愛する喜びに包まれて、キリストの福音に生きる者になるのです。

どうかこの事を心に留めて下さい。

次にペトロは、神の人類に対する怒りが爆発して、裁きと罪の宣告がなされ、全地が暗くなるという預言を告げています。

でも、どうか考えて下さい。

その神の怒りは全て、イエスに向けられた怒りになったのではないでしょうか。

イエスが十字架上で肉を裂き、血を流して死なれた事によって、本来、裁かれるべき者が赦され、滅びから命へと救われているのです。

私たちはイエスの十字架によって、神の裁きを、すでに受けているのです。

それが「主の名を呼び求める者は皆、救われる」という言葉です。

恐るべき裁きの代わりに、イエスの救いが起こったのです。

世界の終わり、この世の終末に関して、色々な事が言われています。

それで人は不安になったり、恐怖心を抱いたりします。

しかし聖書は語ります。

「主の名を呼び求める者は、皆救われる」と。どんな人もです。

イエスの名前を呼び求めるなら、誰でも救われるのです。

ですから不安になる必要はありません。

安心して、神様から委ねられている勤めをしていけば良いのです。

最後に皆さんは、神の言葉に触れると、心が燃えて来る経験があるでしょう。

私も、「嬉しくて、嬉しくてたまらなくなる時があります。

神の霊が心に注がれて、「私は救われている。私は何と幸せだなのだ」と思えるのです。

子どもも大人も、同じです。

私たちは神の聖霊に生かされて、つまり神の大きな愛を受ける時。

生きる喜びに満たされて、立ち上がり、人々に接する事が出来るのです。

祈りましょう。

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