今週のメッセージ

マルコ8:27~30        2017、12、3

『あなたは救い主です』

先週、私たち夫婦は石川県の小松教会で伝道礼拝を守り、30数年ぶりに教会の方達との旧交を温めました。

小松教会は私たちが最初に赴任した教会で、僅か7年間しかいませんでしたが、当時の方たちが教会の基礎になって、60人以上の方が集まっていました。

私が洗礼を授けた若い人が、今では孫もいたり、親子で礼拝に来ていたりで、とても活気のある教会になっています。

会堂が新しく建てられ、礼拝堂の後ろが広いホールでして、畳の掘りごたつのある部屋や、テーブルを中心にして、4つに分けたりのグループで、私たちと同じことをしていました。

私は礼拝説教を語りながら、思った事は、「教会は人づくりだ」という事です。

神を愛し、人を愛する信仰者を育てるなら、教会は必ず前進するのを強く思いました。

37年前の私たちの努力が無駄にならず、実を結んでいる事を確認出来たのです。

私たちはこれからも、皆さんと一緒になって、「神と人を愛する信仰者」を育てなければと思い帰りました。

さて今日の聖書ですが、イエスと弟子たちはフィリポ・カイザリヤ地方の村々を訪ねておられました。

「その途中」、イエスは弟子たちに「人々は、私を誰と言っているか」と、お尋ねになったのです。

その途中というのは、町や村を訪ねている、その途中という事もあるでしょうが、さらにもっと大切な、「その途中」なのです。

イエスと弟子たちが、ガリラヤ伝道を終え、異邦人伝道も終えた。

それからエルサレムへ向かう、その途中だからです。

やがてイエスは捕えられ、十字架の死が待ち構えています。

弟子たちは恐怖と悲しみに押しつぶされ、散り散りになって逃げ出します。  今までの喜びが悲しみに、輝く希望が地獄の暗闇に変わる、エルサレムへと向かう、その途中であったのです。

弟子たちは、イエスが十字架にかかる事などは夢にも思いません。

しかしイエスは、全てを、ご存知でした。

ですからこの、「私を何者だと言うのか」という問いは、御自分を明確に把握させるためでした。

同時に、絶望に突き落とされる弟子たちを、支え、守り抜く、イエスの愛の問い掛けでもあったのです。

ペトロはこの時、「あなたこそメシアです」と告白をしました。

そしてその通りに、救い主イエスが、弟子たちをしっかりと守り、支え、祝福の道へと導いてくれる事になるのです。

私たちも、今、今日というこの時を考えますなら、人生の途中に居る。

人生の途上に居ると言えるでしよう。

しかしそれでは一体、どこへ向かう途中なのでしょう。

私たちはいつも人生の途中である。

自分には、まだまだ先がある、と考えています。

でも、その内に死んでしまうのではないでしょうか。

これが殆どの人の、人生の過ごし方だと思います。

しかし私たちの人生には、目的地があるのです。

たどり着くべき目標地点、つまり人生の旅の終りがあるのです。

そしてその目標に向かって、毎日は向かっています。

人は残念ながら、死に向かって、生きているのです。

その途中に、私たちは「今」いるという事なのです。

その人生の途上にいる私たちに、「あなたは私を何者だと言うのか」とイエスは尋ねておられます。

この問いに対して、「あなたはメシア、救い主です」と答えるなら、人生が輝くのです。

悲しみや苦しみに直面する時、またたとえ死ななければならないという時にも、「イエスは、私の救い主です」と告白出来るなら、

私たちは喜びと平安の中に過ごす事が出来るのです。

なぜなら救い主イエスが、この私たちを必ず支え、導いて下さるからです。

フィリポ・カイザリヤで弟子たちはイエスが誰であるかを正しく答える事が出来ました。

その事によって、弟子たちの人生は支えられ、喜びを持つ者となりました。

私たちも同じではないでしょうか。

「あなたは私の救い主です」と言い表すなら、人生が喜びに溢れるのです。

イエスは、弟子たちにされた同じ質問を、今も私たちにしておられる事を、

受け止めて行きましょう。

さてこの時、イエスは、弟子たちに『人々は、私の事を何者だと言っているか』と、わざわざ人々の考えや判断を、取り上げて質問をしておられます。

なぜ人の考えを、最初に聞いておられるのでしょう。

私たちの場合なら分かるのです。

私たちはいつも、人からの評判を気にしているからです。

人の自分に対する評判、認識が良ければ安心します。

無視されたり、悪い評判を聞きますと、腹を立てたり、落胆します。

私もかつてそうでした。

人がどう言っているかに、神経をすり減らしてきました。

けれども、人の評判を気にする生き方から、離れる道を知りました。

人ではなく、父なる神に目を向ける信仰生活を知ったからです。

神が皆さんを、最も価値のある、素晴らしいものとして受け止めておられるのを知るなら、人の評判などは、どうでも良くなってしまいます。

神はかけがえのない御自分の大切な一人子を、十字架にかけて捨てて下さっておられるのです。

それは皆さんを、神の一人子イエスよりも、大切で尊い者と見ておられるからです。

そして今も、皆さんを受け入れ、愛し、支えて下さっておられるのです。

そこに私たちの心の拠り所、支えがあります。

皆さん。どうか人の声とか、評判などに、心を動かされないでください。

私たちを生かすのは、神の支えであり、導きなのですから。

イエスは、人からの評価を、問題にされませんでした。

父なる神の愛を、豊かに受けておられたからです。

また「人が御自分をどう思うか」を、弟子たちに尋ねる必要もなかったのです。

ですからこの問い掛けは、弟子たちのためなのです。

つまり、イエスがどういう方であるかを、正しく告白する事が、いかに大切かを知る、暖かい配慮であったのです。

さてある者たちは、イエスをヘロデ王によって首を切られた、洗礼者のヨハネのような人だと考えました。

他の人々は、預言者エリヤのような人だと、言いました。

エリヤとは、信仰の堕落と混乱を正すために、神から送られた預言者で、偶像礼拝を行うアハブ王とその妻イゼベルと生死をかけて戦った人です。

そしてある人々は、イエスを他の預言者の一人であると言いました。

夫々が、自分なりの確信をもって、「イエスは、このような人物である」と言っていました。

それに対して、弟子たちは何と言うべきでしょう。

人々の言葉を聞いて、そのどれもが正しいと、思ったのではないでしょうか。

そのようにある事柄に関して、他の人の意見や、主張にも正しさがある、妥当性があるのです。

自分だけが正しいと思い込んでいる人は、人の考えを聞く耳は無いでしょう。

けれど、他の人の意見を、聞けば聞く程、それなりに正しく思えて来ます。

私たちは混乱して、つぶやくのです。

「何と面倒臭いのだ。何が本当に正しいのか分からない」と。

弟子たちは、イエスに関する評判を耳にして、言い逆らったり否定したりしませんでした。

それには一理ある、それなりに正しいと考えていたからです。

しかしそうかと言って、そのまま受けいれもしませんでした。

イエスの本当の姿を、告げていないのを感じていたからです。

その彼等にイエスは、尋ねたのです。

「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか」と。

それでペトロは言いました。「あなたはメシア。キリストです」と。

それはこういう意味です。

「かつて神と人のために働いて、大きな影響を残した偉大な人たち、しかしやがて死んでいった人たちとは、あなたは違います。

ヨハネもエリヤも、その働きは部分的です。

けれどもあなたは彼等全てを包み込む偉大な救い主です。

あなたは神からの救い主であり、預言者であり、王であり、愛そのものであり、光そのものであり、永遠なる方です。

あなたは人ではありません。

神から遣わされた救い主です」と。

しかしペトロたちは、いかにしてその真理に到達出来たのでしょう。

人の夫々の考えがある中で、どのようにしてその告白が出来たのでしょうか。

二つの事が言えるでしょう。

第一に彼等は、イエスに従い、生活を共にしていた事です。

イエスと親しく生活する事によって、確信を持ったのです。

「この方こそ神の子であり、メシア、救い主である」と。

けれども人々は、イエスを遠くからじっと見守るだけでした。

傍観者として見て、判断していたのです。

しかし大切な事は、イエスのそばに行き、一対一の関係を持つ事です。

「あなたはメシア。救い主です」という告白は、イエスと共に生活して、初めて出来るものだからです。

次に、この告白は、人の判断、知恵から出てくるものではありません。   聖書は語ります。

神の聖霊の導きを受けて、「イエスは救い主である」と告白出来るのだと。

ペトロたちは、人々の色々な考えや主張の中で、「あなたはメシアです」と言い表しました。

彼等の教養とか、知恵や知識によるのではありません。

聖霊の導きによって告白が出来たのです。

つまりこの告白は、神の導きによるものだったのです。

私たちもそうです。

「イエスは救い主です」と告白するのは、神の促しを受けて出来るからです。

だからこそ、この告白には命があり、力があるのです。

私たちはこの告白をするならば、倒れても、倒れても、立上がれるのです。

今週から待降節が始まりました。

私たちのために、クリスマスの夜に誕生された、神からの救い主を心から喜びお迎えしたいと思います。

そして「イエスは救い主です」という告白をする、喜びと恵みを心から感謝して行きましょう。

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